エッティンガー発言の真意は何か

再びドイツで、ナチスの過去をめぐる論争が巻き起こった。

バーデン=ヴュルテンベルク州のギュンター・エッティンガー首相が、同州の首相だった故ハンス・フィルビンガー氏のための弔辞で「彼はナチスの敵(
Gegner)だった」として、歴史を歪曲するような発言を行ったのである。

フィルビンガーはナチスがドイツを支配していた時代に海軍の軍事法廷の裁判官として、2人の脱走兵に対して死刑判決を下している。(2人の兵士は逃亡したので、刑は執行されなかった)

さらに、
22歳の脱走兵ヴァルター・グレーガーに対する裁判では検察官として死刑判決の言い渡しに関わり、銃殺刑に立ち会っている。また19455月にフィルビンガーは、軍服からハーケンクロイツの紋章を剥ぎ取った兵士に、不服従の罪で6カ月の禁固刑を言い渡した。

戦後シュピーゲル誌が、フィルビンガーが死刑判決に関わっていた事実を暴露したため、彼は
1978年に世論の圧力に対抗できなくなり、州首相を辞任している。

脱走兵に死刑判決を言い渡す裁判官を「ナチスの敵」と呼ぶことは、大きな矛盾である。これはナチスに抵抗運動を行って、死刑にされた人々に対する侮辱でもある。さらにエッティンガーは、「フィルビンガーは当時の何百万人の人々と同じく抵抗の意志を表に出せなかったのだ」と明らかに擁護する姿勢を見せた。

このためエッティンガーの発言に対しては国内外から強い抗議の声が上がった。同じ
CDUに属するメルケル首相も、「故人に対する尊敬の念だけでなく、犠牲者に対する配慮も必要だった」と公式にエッティンガーを批判している。

エッティンガーは416日にようやく発言を撤回して謝罪した。なぜ彼はこのような演説を行ったのだろうか。エッティンガーほど経験豊かな政治家が、この演説の反響を予想できなかったはずがない。

スピーチを書いた側近はフィルビンガーの信奉者として有名な人物だった。私はこの演説は失言ではなく、エッティンガーがバーデン=ヴュルテンベルク州の右派の票を獲得するためにあえて行った「確信犯的行為」だと考える。

その証拠に彼は、「私たちの地域では葬儀の際に死者に鞭打たず、功績を強調する習慣がある。私はこの演説で、はっきり(フィルビンガーを称える)しるしを残した」と述べている。同州の右派勢力は、エティンガーの演説に「よくやった」と拍手喝采を送っている。

この演説は作家マルティン・ヴァルザーが98年に「アウシュビッツの映像を繰り返し見せられるのは、もうたくさんだ」と述べ、ドイツの過去との対決を批判する講演を行って右派から強い支持を受けたことを思い出させる。

ドイツではナチスの過去と批判的に対決する人々が社会の主流派だった。

だがドイツ統一後になって、こうした努力に対抗してドイツ人被害者論を強調したり、ナチスによる犯罪を矮小化したりする動きが見られる。エッティンガーは、そうした波に乗ることによって、支持者を増やそうとしたのであろう。

大連立政権がエッティンガーの行為について批判的な態度を貫いたことは、評価できるが、州政府レベルでこうした策動が見られるのは、やはり不気味である。

スウェーデンと同じ
GDP(国内総生産)を稼ぎ出すバーデン=ヴュルテンベルク州は、ドイツで最も経済力がある州の一つ。「エッティンガーは、この重要な州の首相にふさわしい人物なのか」という疑問の声すら出始めている。

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週刊ドイツ・ニュースダイジェスト 2007年4月27日